「主役になれない物語」は、駄目なものなのか?
あなたが焦っているのは、誰かが得する物語のせいかもしれない
「人生の主役になろう」
この言葉、聞いたことない人っていないと思うんですよね。
自己啓発本にも、成功者のインタビューにも、SNSの投稿にも・・・だいたいこの手のフレーズが紛れ込んでるんですよね。
自分も正直、何年もこの言葉に背中を押されてきた側です。「もっと目立たなきゃ」「もっと発信しなきゃ」「主役にならなきゃ」って。( ˙-˙ )スン…
でも最近、ふと思ったんですよね。
そもそも『主役』って、誰が決めた枠組みなんだろう・・・って。
考えてみれば、世の中って主役じゃない人だらけで回ってるんですよね。
たとえば、会社の飲み会の幹事さん。誰よりも動いてるのに、主役はいつも別の人。
たとえば、名作映画の名脇役。主人公の名前は覚えてても、その隣でずっと物語を支えてた人の名前は案外思い出せなかったりする。でも、その人がいなかったら、あの映画は成立してなかったはずなんですよね。
たとえば、レシピ通りに料理を作った時の「隠し味」。それがなくても一見完成はするけど、抜くと確実に味が薄くなる。でも誰も「隠し味さん、お疲れさま」なんて言わない。
そういう存在って、いなくなって初めて「あ、あの人(あれ)がいたから回ってたんだ」って気づかれたりする。目立たないけど、抜けたら困る。
なのに、なぜかみんな「主役になれ」ばっかり言われる。(´・ω・`)ショボーン
これって、少し立ち止まって考えると不思議じゃないですか?
主役の物語って、確かに華やかで応援したくなるし、拡散されやすい。「0円から月5万円稼いだ話」とか「無名から人気者になった話」とか、そういうのってバズりやすいですよね。
じゃあ、脇役の話は?
地味だし、盛り上がりにくいし、正直あんまり誰も読みたがらない。(ノ∀`)タハー
つまり、「主役の物語」自体が、めちゃくちゃ拡散力のあるコンテンツなんです。だからこそ、世の中には主役の物語が溢れてる。脇役の物語より、圧倒的に多く流通してる。
これ、誰かが悪意を持って仕組んでるわけじゃないんですけどね。(^_^;)
ただ結果として、「主役であれ」という空気だけが、やたら濃く漂ってる状態になってる。
これは主役を目指す人を否定する話じゃない。
自分も『主役にならなきゃ』って何年も焦ってた側の話だ。
・・・とはいえ、こう思う人もいるかもしれません。
「いやいや、自分の人生の物語なんだから、自分が主役でしょ┐(´д`)┌」って。
正直、それはその通りだと思うんです。自分の人生の主役は、間違いなく自分です。誰かに譲るものでもないですし。
ただ、ここでいう「主役になれ」って、もう少し別の意味も含んでる気がしていて。
というのも、主役って常に矢面に立つ役なんですよね。
スポットライトを浴びるってことは、良いことも悪いことも、全部自分に向かってくるってことでもある。褒められる時も、批判される時も、真正面から受け止めなきゃいけない。
そういうポジション、性に合う人もいれば、正直しんどいって人もいると思うんです。
一歩引いたところで誰かを支える側でいたい。目立たなくていいから静かに自分のペースで積み上げたい。
そういう生き方・・・価値観として、全然ありだと思うんですよね。
「1番じゃなくてNo.2!文句あっか!」
そう思ってる人だって、堂々としていていいはずなのに。世の中の空気は、なんとなくそれを「消極的」「向上心がない」みたいに遠回しに悪者扱いしてる気がします。
でも、それって単なる美学の違いであって、優劣の話じゃないんですよね。
幹事さんも、名脇役も、隠し味も。
そういう人たちがいなかったら、そもそも「主役」って成立しないわけで。主役って、実は脇役に支えられて初めて主役になれるポジションなんですよね。
だから、もし今あなたが「自分は主役になれてないな・・・」って焦ってる瞬間があるなら・・・。
その焦り、もしかしたら自分本来の欲求じゃなくて、拡散されやすい物語に無意識に影響されてるだけかもしれません。
主役になりたい人は、なればいい。それはそれで素敵なことだと思います。
でも・・・脇役でいることを選ぶ自由も、ちゃんとあっていいはずなんですよね。
主役になれと言われるたびに、脇役でいる自由を手放していないですか?
自分は主役型?脇役型?コメントで一言だけでも聞かせてもらえたら嬉しいです。




脇役の方がいいですねぇ。
リアル仕事でもサブリーダー的なポジションをやらせてもらっているので🐈
誰かを支える方が性に合っているというかなんというか。
主役になるより、名脇役や最高の裏方になりたいっ!
自分はそう思って生きてますね✨
支えられるよりも、支えたい。
それで好きな主役が輝けるなら本望!